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「すくらむ」とは赤穂市民病院院内報です。このページはすくらむの記事からご紹介します。

特別寄稿 その2

海外ボランティアに参加して〜ベトナム編〜

看護部 浦本京子

 フィリピンメディカルミッションの後、私はベトナムの少数民族に薬を届けるという竹内先生とJLMM事務局長の山口神父に同行しました。
 始めにベトナムについて少し触れておくと、1975年4月30日サイゴン陥落によりベトナム戦争終結。正式名称ベトナム社会主義共和国。首都ハノイ。北のハノイを政治・文化の中心とすると、南のサイゴンは商業中心といった感じです。ベトナム戦争時、少数民族の村を含めた中部は、北と南の戦いの場となりました。そして、両軍が出入りし、どちらかの側につくことを求められ、時には村を焼き払われもしました。戦争が終わった現在は、民族特性が強いところは観光地として保護を受けている村もありますが、居住地域を定められたり、移動の自由さえなかったりする村もあります。
 私たちの目的地のラオスとカンボジア国境付近にある少数民族の村までは、ベトナムの南に位置するサイゴンより中部のブレイクまで飛行機で3〜4時間、さらに車で1〜2時間かけたところにあります。
 村を何カ所か訪れましたが、ある村では、子どもと1名の大人を除いて、ハンセン病患者でした。仕事もなければ、笑顔もない....子どもに笑顔がなかったことが印象的でした。
 ある村では、お茶栽培という仕事はありますが、政府に搾取され、一家8人程度でよくて年収は1万円。その栽培されたお茶を町で見かけると、パッケージには栽培者としてきれいな民族衣装を着た人の写真が載ってあり、現実とのギャップに戸惑いました。さらに戸惑ったのが、サイゴンへ戻ったときです。ベトナム最大の商業都市のサイゴンはビルが建ち並び、自動車やバイクがあふれ、活気に満ちています。同じ国なのにこの雰囲気の違いに戸惑いました。
 同じ国でも、たとえば、サイゴンの人は貧困に苦しんでいる少数民族の生活を想像したこともないだろうし、それ以前に同じ国にそのことさえ知らない人も多く(政治的な背景もあるのですが...)、少数民族の人もサイゴンの人の生活を想像できないと思います。
 私たち日本の生活にもいえるのではないかと思うのです。貧困とかのレベルではないですが、人権問題とか学んできたけれども、関心を持たないために、同和問題とかアイヌとかハンセン病の話とか全然知らないことが多くあります。関心を持たないとどうしても自分の身の回りだけがすべてとなってしまいます。
 毎日の生活を送るのもそれなりにトラブルがあって心身共に大変ですけど、心に余裕があるときは、関心を持ち、何かできることをしていきたいと思いました。

 

すくらむNo31 より

update 01/06/2004